能登町合鹿地区を中心に生産され、百年以上前に途絶えた漆器が「合鹿椀」です。いつごろから制作されていたのか定かではありませんが、文献で最も古いものは元禄7年(1694年)までさかのぼります。現存する合鹿椀も元禄年間のものと分析され、漆の技法としては柿渋を下地として使う平安末期の技法を継承しているとのこと。普段使いのお椀として厚みがあり、土間やムシロの上でも安定するように高台が高く作られています。工芸品や美術品にはない日用品としてのあたたかみのある素朴さ、力強さが魅力のお椀です。

当寺には合鹿椀最後の木地師とされる本谷三郎右衛門(昭和5年没)が使用していた縄掛轆轤が現存しています。明治時代までは当たり前に作られていた合鹿椀ですが、ほかの漆器や陶磁器などに押されて職人がいなくなり幻の椀になってしまいました。再び脚光を浴びるようになったのは昭和27年に日本民族学会や日本考古学学会をはじめとする学会が能登総合調査を行ってから。このとき、珠洲焼や合鹿椀というものがはじめて世間に知られるようになりました。それ以降、合鹿椀を作りたいという作家さんも出現し、輪島の漆工芸家、角偉三郎さん(2005年没)もその一人。現在は息子の角有伊さんがその跡を継ぎ合鹿椀の命脈を保っています。

当寺が「合鹿椀ゆかりの寺」として知られるようになると、多くの人が合鹿椀を見せてほしいと尋ねるようになりました。現在は屋根裏を改修して寺で所有する合鹿椀の一部を展示しています。

拝観時間 9:00から16:00 不定休 ※拝観時は事前にお電話いただければ助かります。

電話番号 0768‐76‐0290

拝観料  大人500円 駐車場無料