飯林山 福正寺

吉崎時代の蓮如上人から教化を受けた開基道正師(どうせい)は文明6年 上人から六字名号と御文一通を賜り、20年後の明応3年(1494)能登国 町野総道場として福正寺をほぼ現在地に建立されました。

現十八世住職正悟師は昭和54年の本願寺の宗派離脱にともない、門信徒とともに大谷派を離脱、現在東京本願寺を御本山といただき 浄土真宗東本願寺派福正寺となっています。

合鹿椀(ごうろくわん)

福正寺が建立された時代にこのあたりでは盛んに「うつわ」を製造していたようです。そうした職人や商人の懇願でお寺が建てられました。現在では伝承がありませんから「幻の椀」とか「古代椀」とかいわれています。

福正寺では毎月の「お講」でご門徒らのお斎の器としてつかわれてきました。

学術的に調査研究の進む合鹿椀、それでもまだ器の歴史、漆や木地の文化や歴史など多くの謎が隠されているようです。